青桃ブログ

聖母(マドンナ)たちのララバイ

東京五輪公式エンブレム使用中止へ。
ベルギー・リエージュ劇場のロゴと似ているとウェブデザイナーに著作権侵害で訴えられましたし…何だかんだ言っても、てっきりそのまま収束するものだとばかり思っていたのですが。(^^;)

著作権侵害というのは、物書きにとってはナーバスなお題目。無論自分の作品が盗作されたとなれば誠にけしからん。手塩にかけた我が子が何の断りもなく犯されたも同然、嘆かわしい話である。逆に盗作で訴えられたとくればそれはそれで一大事。まったく身に覚えがなければたまったものではない。
創作の現場で盗作は案外と日常茶飯事である。
有名な例だと、2010年上海万博公式PRソングがシンガーソングライター岡本真夜さんの『そのままの君でいて』に酷似していると盗作が疑われれた。『聖母(マドンナ)たちのララバイ』(火曜サスペンス劇場の初代主題歌)が映画『ファイナル・カウントダウン』(1980年米)テーマ曲の盗作であるのは周知の事実。最近では小保方晴子氏による博士論文盗用事件に代表されるように、コンピューターの普及でコピー&ペーストが容易になり学術界でも盗用が横行している。科学の信頼を失墜しかねないゆゆしき事態である。
いずれにせよまともな人間なら盗作した時点で気づくはず「自分には才能がない」と。盗作したところでいずれは化けの皮が剥がれる。仮にばれなくとも偽りの事実を胸に秘めたまま棺桶まで背負っていかねばならないし、何より虚飾に彩られた偽りの才能にいたたまれなくなるのではなかろうか。少なくとも青桃はそう思う。平気やから盗作するんやろなぁ。

盗作か否かの判定は、要は作品のアイデアがどこからインスパイアされたのかが問題の核心なのだそうで。青桃はヘビメタを聴いている時に『汀の砂』のアイデアが閃いた。ロックバンドから訴えられたらどうしよう。『子供たちの午後』は自転車走行中に構想を練った。自転車メーカーから訴えられたらどうしよう。『新クニウミ神話-ZONE-』ではボウリングの最中に創作の神様が降臨した。ボウリング場から訴えられたらどうしよう。(^^;)
それはさておき東京五輪はどうなっちゃうんだろう。新国立競技場は建てられない。その上エンブレムまで白紙に。これじゃもう丸裸。裸一貫で出直しますってか。オ・モ・テ・ナ・シ!からやり直します?

青桃はよく“貞子”と呼ばれる♪キットクル、キットクル♪

台風15号一過。
今回もまた雨風激しく各地に記録的な大雨をもたらしましが…太古より人類は自然の脅威を克服せんとたゆまぬ努力を重ねてきたが、自然は常にその上を行き、克服どころか追いつくことすらままならない。
近年では人類自らの活動が自然の脅威に拍車をかけている節も否めないけれど…日本では神代の昔から台風などの自然現象を、天神(あまつかみ)による天風(あまつかぜ)と見立てられ信仰の対象とされてきたが、今日天神と言えば専ら天満宮の祭神菅原道真公を称するようだ。道真公は学問の神様として名高いが、元々は怨霊であり、たたりを鎮めるため雷神即ち天神として祭られたのが始まりである。
怨霊と聞くと恐ろしく邪悪な存在とされがちであるが、平安時代の怨霊への認識は現代とはちょっと違うようである。死してなおこの世に災いをもたらし続けられるというのは、それだけ格の高い霊魂と見なされ畏怖の念を抱いていた。道真公の怨霊は気高き“荒ぶる神”なのである。
いくら怨霊が恐ろしいだの何だの言ったところで、そんなもの生きてる人間の怨念の比ではない、と青桃は思う。生きてる人間はその気になれば“たたる”なんて回りくどいことはしない。もっと直接的手段に訴えかねない。
出刃で鈍器で以てグサリ!ガツン!と…生きてる人間の恨みの方がよっぽど怖い。生きている、この絶対的実存の持つ存在感と影響力は計り知れない。死んで恨みを晴らすより、生きて望みを果たそうぞ。
ちなみに青桃はよく“貞子”と呼ばれる。長い髪のせいなのか…どうもそれだけではないらしい。
褒め言葉だと受け取っておこう。♪キットクル、キットクル♪

めっさちっさいお寿司屋さん

こうのとり、油井宇宙飛行士ナイスキャッチ。毛利宇宙飛行士が初めて宇宙に飛び立った頃から、青桃はずっと宇宙飛行士に憧れていた。
が、身長が足りないので宇宙飛行士の夢はあっさりあきらめる。正確には身長が足りない事を口実にしたのだが…(^^;)(適性審査や訓練が半端ならない程厳しいことを知ったため)なにもそんなに頑張らんかて地球も宇宙の一部なんだから、この地上のそこかしこにも宇宙は充ち満ちているいるじゃ~ないかと。

そう言えば青桃の極々身近に驚異の小宇宙があった。20年からこの街に暮らしておきながら、こんなミニミニお寿司屋さんがこんな近場に存在していたとは…ちいちゃ過ぎて友人に教えてもらうまで気づかなかった。

友人曰く「ず~と気になっとってん。めっさちっさい寿司屋」先ずは開店時間をチェック。どうやら夕方遅くから夜中ぢゅー(なんともアバウトなこってす)。で、女二人仕事上がりにぼっちら立ち寄ってみることに。勇気を振り絞って扉をそ~っと開けた。つもりが、カラカラカラっと居酒屋風の扉が威勢よく鳴く。がらんとした店内。客はいない。ご店主と目が合う。すぐそこに迫るご店主の顔。なにぶん店が狭いもんで。あぁ、もう中に入るしかない。
店内は全席カウンター、先着5名様のみのご入店。まさに“プレミアム特等席”。カウンター向こうの厨房では、ご店主一人で切り盛りしているらしく、まるで“ガンダムのコックピット”(ガンダムに乗ったことはないんやけど(^^;))思わず「マグロ行きます!」って言いそうになる。それにしても、ひとりでくるっくるっ回りながら、付き出しももすましも出してくれるしにぎりも早い。ほれぼれするほど見事な操縦っぷりだった。で、お味は?と聞かれてみても「まあまあかな…ようわかれへん」二人とも味覚の方は今一つ。ほんまにもう~味も分からんやつは、父さんに打たれる前にカタパルト発進してとっととお家へお帰り~

恐怖の勝利

 

バンコク爆弾テロ事件。東西冷戦が終了し四半世紀経ちますが、世界では依然として地域紛争が跡を絶たず、それに付随してテロの横行し、世界は混沌の渦中にあります。
20世紀は戦争の世紀と言い表すなら、21世紀は紛争とテロの世紀と言えるでしょうか。テロとはテロル及びテロリズムの略で暴力手段に訴えて敵対する対象を威嚇することですが、語源のテロルはドイツ語で“恐怖”を意味します。テロとはまさしく“恐怖”そのものをまき散らす行為、あるいは“恐怖”をまき散らすことを目的とする行為ではないかと、青桃には思われてならない。
テロは人を選ばない。加害であれ被害であれ。いつ何時遭遇するやもしれぬ恐怖。またその恐怖は死へと直結している。
恐怖によって人々の足をすくませ、行動を縛り自由を抑圧する。恐怖を植え付けるためにテロ行為がなされているのなら、恐怖を感じなければよいのだろうか。人が傷つけられようと殺されようと一切動じない、人間らしい感情の発露を封じ心を凍らせる。それでは人間とは言えない。人間性を喪失してまで恐怖を克服したところで、それではやはり“恐怖”の勝利と言わざるを得ない。

わたしたちはまさにテロの時代に生きている。
松本サリン事件、地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ事件、公共施設交通機関爆破テロ、爆弾自爆テロ、サイバーテロ…あらゆる場所にテロは潜み蔓延っている。
青桃にとってテロは同時代。同時代に生きた宿命として、同時代に生きた者にしかなしえない表現を続けていきたいと切に願うのであります。

戦争文学

高校野球は東海大相模が45年ぶりの優勝で幕を閉じました。こう言っちゃぁなんですが、たかだかティーンエイジャーによるアマチュア野球が何故これほどまでに面白いのか!若さという唯一無二の瞬間、花火の如く咲いて燃え尽きればそれっきり、取り返しの付かない一期一会、そこにこそ強烈な印象をもたらす魅力があるのでしょう。

青桃がティーンエイジの頃強烈に影響を受けた文学・映画といえば大岡昇平『野火』。しばらくは夜寝床で目を閉じると情景が浮かんできてなかなか寝付けなかった。市川崑監督による映画『野火』(1959年大映)も凄まじかった。両作品を比較してみても興味深いと思う。他には井伏鱒二『黒い雨』フランクル『夜と霧』映画だと短編ドキュメンタリー『夜と霧』(同名書籍とはまったくの別物)長編ドキュメンタリー『ショア』…こうしてみると戦争文学・映画が多いかなぁ。
いずれの作品もいわゆる戦記物とは一線を画し、近代戦争がもたらした歪みや戦場における悲惨や狂気を浮き彫りにすることで、人間性が試されるような内容。戦争と同時代に生きた表現者にしかなしえない鬼気迫る描写に胸を穿たれます。

小学生の時分には短編アニメ『ピカドン』(描写が過激だとして上映されなくなった)も観たし、物議を醸していた『はだしのゲン』は全巻読破した。青桃のために担任の先生が自腹で足りない巻を揃えてくれた。もちろん他意はない。ただ子供の知的探求心を満たすためだけに。良い時代だった。(^^;)最近恐ろしいとか刺激が強すぎるといっては片っ端から排除する傾向がなきにしもあらず。その割にはアニメやゲームでハードコアな描写が野放しになっているような。(^^;)
感受性豊かな10代の柔なハートにこそ、ちょっとばかり負荷をかけてやる。するとしなやかで重厚な心が育まれるんとちゃうかなぁ。
この際食わず嫌いは返上して。

”仕事をする”とはある種の自己表現である

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フォルクスワーゲン社の排ガス不正問題をはじめ、旭化成建材の杭打ち施工検査データ改ざん事件、ジャイアンツの現役選手による野球賭博事件などなど、このところ企業倫理や職業倫理を問われる事件が相次いで明るみに出ているように感じます。

ところで“仕事をする”とはある種の自己表現である、と青桃などは考えたりする。青桃みたいな物書きが“自己表現”と言えばわかりよいが、営業や事務、福祉医療、教育etc.と言われるとぴんとこない来ないかも(^^;)。
まずここで言う仕事とは、単に生計のための労働とかお金儲けの手段といった類いではない。手っ取り早く稼ぐだけなら何でもいいわけだ(泥棒稼業でもいい?それは極論にしても)。
逆に言えば、どんなに有名な企業に勤めていようが立派な職に就いていようが、生業(なりわい)のためお金のためでしかないのなら、それは仕事ではなく労働と呼んだ方が相応しいのかもしれない。青桃の周りには安泰な勤め人のご身分を捨てて独立開業する人が結構多い。独自の味を追求する料理人、フレキシブルなサービス提供を目指すIP関連企業社長、規模は小さくともきめ細かいケアを心がける介護ステーション所長etc.たとえ苦労しようともすべては自己実現のため、仕事で自分をの生き方を体現するため。まさしく天職を得たと言ったところでしょうか。

子供の頃将来の夢について作文を書かされたもんです。
野球選手、サッカー選手、大工さん、花屋さん、ケーキ屋さん、保育士etc.子供の夢ですら将来就きたい仕事を書いたものだ。(青桃はご多分に漏れず将来の夢など具体的は無かった。「プラン無いん?」と聞かれちゃ困るので大人が喜びそうな夢を適当に創作してお茶を濁していたっけ(^^;))
子供の頃の見果てぬ夢はさておき、大学生などある程度大人にまでなって就職の二文字がいよいよ見えてくると「仕事なんぞ選んでられへん!」と言いつつも、やはり将来を見据えて真剣に仕事選びをするはず。
まして資格を要する職業となると、就職活動以前に資格取得段階からして意気込みが違うはず。就職はそれだけ人生をかけた一大プロジェクト。
とはいえそこは人生、そうそう天職に出会えるわけでなし…何はともあれ一端職に就けばまじめに勤めるより他ない。そのうち仕事を覚えていくに連れおもしろくなってくるし働く意欲や喜びもわいてくる。そうして自立していく上で欠かせない自信や誇りを確かなものへとしていく。仕事はそれほど大事な人生の礎なのだ。
ところがそれだけ努力を重ねてきた仕事でさえ邪道へとそれていく者が出てくる。マンネリに潜む落とし穴なのか、慣れがなせる仇(あだ)なのか…不正を図ったり、ずるをかましたり、賄賂を受け取ったり…悪いことは割に合わないってことはちょっと考えればすぐに分かるはずなのに。世阿弥の花鏡に「初心忘るべからず」とあるが、仕事を覚え立ての頃のがむしゃらさや真摯な気持ち、いつまでも忘れずにいたいものだ。

かぼちゃの起源

ハロウィンと言えばやっぱりかぼちゃ。以前ハロウィンについて書いた際ちょこっとだけかぼちゃについて触れたのですが、あれじゃまだまだ物足りない。青桃だってご多分に漏れずかぼちゃ大好き。江戸時代から女の好物「芝居、蒟蒻、芋、蛸、南瓜」て言うじゃないですか。だから今回はかぼちゃを堪能し尽くしちゃお~。
ハロウィンお馴染みのあの濃いオレンジ色のかぼちゃ。いかにも美味しそうなんで物は試しと食したところ、べちょべちょの繊維みたくちっとも美味しくない。これはポペかぼちゃと言って観賞用なんだそうで(^^;)。
英語でかぼちゃはパンプキンpumpkimと言いますが、厳密にはオレンジ色の皮の物をそう呼び、その他のかぼちゃの総称はスクウォシュsquashと呼ぶんだそうで。言われてみれば普段口にするかぼちゃ、表皮は深緑で色も味も全然違う!
かぼちゃは中南米原産ウリ科の果菜で大航海時代に伴って世界各地へ広まっていった。日本への伝来は16世紀頃、ポルトガル人によってカンボジアから持ち込まれたとされる。カンボジアが訛ってかぼちゃになったというのは有名な話。そのときもたらされたのが一般に日本かぼちゃと呼ばれる黒皮南瓜。従って日本では長らくかぼちゃと言えば専ら黒皮南瓜であった。

かぼちゃと言えば冬至。
中風(脳卒中)予防になると冬至にはかぼちゃを食べたりするけれど、でもこれって明治になってからの風習なんだそうで。意外や意外、随分と新しい風習なんです。この頃くらいからアメリカから西洋かぼちゃがもたらされ日本で普及し始めたんだとか。
現在日本ではえびす南瓜いわゆる西洋栗かぼちゃにすっかり市場を席巻されてしまっているんですが、黒皮南瓜だって美味しい。
事実江戸時代の女性たちの好物と言えばこのかぼちゃだった。
青桃はこうやって、黒皮南瓜をいただいております。黒皮南瓜をちょっぴり大きめの一口大に切り、しっかり目の甘辛だしにひたひたにして煮含める。煮上がったら粗熱を取って涼しげなガラスの器に移し冷蔵庫へ…冷えた頃合いを見計らって食す。これが美味い。箸を入れるとすうっと切れて、食感は水羊羹みたくねっとり、お口の中で芳醇な香りが広がります。ちょっとしたデザート感覚でいただけます。

「第8回せんばやしハロウィン仮装パーティー」

昨日10月25日(日)は「第8回せんばやしハロウィン仮装パーティー」にお越しいただき誠にありがとうございました。
今年のパーティーも、チャリティーハロウィン仮装パレード参加者だけで500名を超えるお客様で千林商店街は満員大盛況でした。
大阪マラソンと同日であるにもかかわりませず、否、大阪マラソンなんぞ何のその負けてはおられまへん!パレード沿道の観衆も負けてはおりません。ピーク時には総勢1000を超えていたかも(^^;)。千林だけに、恐るべし。

さて今年も気合いの入った仮装を見せていただきました。これを見るのが青桃の楽しみなんよ~(^o^)。かぼちゃの馬車が似合いそうなドレス姿のシンデレラ、ワン○ースのキャラクター、戦隊物3人組などなど…
青桃も結構がんばったつもりだったんですが完全脱帽です。(ただし青桃の魔女の帽子は銀髪のカツラとくっついており、帽子を脱ぐとカツラも一緒に外れてしまうので、脱帽にとどまらず脱毛もしてしまうんですけど(^^;))。
やはり皆様凄いわ。お見逸れいたしましたm(_ _)m。

“関東・東北豪雨被災者支援募金”もたくさん集まり、皆様のお志に深く感謝申し上げます。
パレードにご参加いただいたお子様には、公約通りお菓子が大盤振る舞いされました。クイズラリーアドベンチャーも大盛況につきあっという間に終了。
1000ピースプロジェクトによるハロウィンゲーム大会では“地獄脱出ゲーム”“ゴーストマンション”“カボチャ玉入れ”“ちょーひっぱり”“射的ゲーム”と5つものゲームが用意され、何処もかしこも子供たちで大賑わいでした。
いつもながら1000ピースの皆様は重宝なことで感謝感謝(^^)。青桃的には“地獄脱出ゲーム”に触手がピクピク…超長~いピンボールで大概どこかで玉が引っかかってなかなか脱出できずあえなくゲームオーバー(T_T)。そうそう、当日仮装してきてくださったお客様には、各店舗で趣向を凝らしたサービスを提供しておりました。仮装しているだけで10%お値引きとか、プレゼントがもらえたりとか。青桃も組合員じゃなかったらなぁ。
詳しくは千林商店街公式facebook https://www.facebook.com/senbayashi、千林商店街公式サイトhttp://www.senbayashi.com 迄。

冥王星が準惑星に降格!

冥王星の地下に氷の地盤?NASAの無人探査機「ニューホライズンズ」の冥王星観測データのまとめが、米国科学雑誌「サイエンス」掲載されました。それによると、冥王星の地盤はかなり硬い氷で出来ており、大気は地球の1/10程度とかなり低いことなどが判ったそうな。
冥王星はアメリカ人天文学者トンボーによって1930年に発見された天体。
今回トンボーの遺灰の一部がニューホライズンズに載せられたんだとか。
アメリカ人が発見した星をアメリカが探査する。冥王星冥利に尽きます。

それはそうと地球から48億km、10年近くにおよぶ旅路の末、遙々冥王星くんだりまで…思えば遠くへきたもんだ♪因みに小惑星イトカワからご帰還の無人探査機「はやぶさ」は往復50億kmのサンプルリターンの旅。帰り道迷子になり、太平洋ならぬ太陽系ひとりぼっちだったっけ…

冥王星と言えば、2006年(ニューホライズンズが地球を飛び立ったのも奇しくもこの年)に惑星から準惑星に降格?(降格とは失敬な!)となった。
冥王星の準惑星への降格を受けて衝撃が走ったのは天文学界ばかりではない。アメリカ人の嘆きはいかばかりか…ディズニーキャラクターのプルートさえ、冥王星発見の快挙にちなんで名付けられたほどなのに…ただでさえ擬人化されずに犬のまま、しかもねずみの飼い犬なのに、降格となったら野良犬になっちゃうのか…(もしもこれがグーフィーなら服を脱がされ首輪につながれ飼い犬に格下げってことか…(^^;))それは冗談として、他にも元素名プルトニウムは冥王星からいただいたものだし。
とりわけ占星術界は騒然となった。占星術において冥王星の象徴するスケールはかなり大きい。破壊と再生、生死、セックス、全か無か、絶大なる力etc.この星は個々人によりも社会全体に及ぼす影響の方が大きい。さすが冥王というだけあって人類存亡?に関わる重要な地位を占める星なのだ。

あれから早10年、冥王星の存在感は薄れるどころか益々増している。
実際降格以後、次々に新事実が明らかになっている。『冥王星型天体』への昇格あるいは昇格が待たれる冥王星の仲間がいたり、冥王星が属する『太陽系外縁天体』は発見されただけでも1000を超え、それら無数の星々に太陽系は取り囲まれていたり…と太陽系や惑星の概念を根底から覆さんばかりの発見が!冥王星はまだまだ未知の宝庫なのだ。
それに今のところ人類存亡にもさして影響はなそう。
とは言え冥王星の公転周期は何せ248年なもんだからたかだか10年くらいでは答えは出ないかぁ。人類の文化や思想、死生観と深く結びついている神秘の天体。冥王を名に負い静かに太陽系外縁を巡り続けている。

どきどきわくわく胸が高鳴る

近所の町会掲示板に気になるお知らせが貼ってあった。

“ときめき塾”。
ときめく…いい響きです。

ところで、ひらがなで書いたときめくと漢字で書いた時めくでは、実はちゃんと意味が使い分けられているんです。
ひらがなだと「どきどきわくわく胸が高鳴る」漢字だと「時流に乗ってもてはやされる」を意味するんだそうで。漢字の時めくの方は古典作品にも登場するほど古い言葉。源氏物語では、桐壷更衣『すぐれて時めき給ふ』なんて使われていたりする。時の御門(みかど=天皇)の寵愛を受けて栄えるってな意味。一方“○○めく”とは、名詞や形容詞などの後ろにくっつけると「○○な感じがする」みたいな動詞が簡単に作れちゃう便利な言葉。
例えば春めく、艶めく(つやめく)、蠢く(うごめく)、響めく(どよめく)、呻く(うめく)、ひしめく、目眩く(めくるめく)、煌めく(きらめく)、閃く(ひらめく)、慌てふためくetc.他にも古めかしい、艶(なま)めかしい、色めき立つってな合成語も。造語もできちゃう「おっさんめいた口調…」てな具合に。そんな“めく”が“時”にくっつくと…時代の風をつかみ、今めく、旬めく、当世めく…もっと平たく言えば“モテ期”来(きた)るってとこかなぁ。

いずれにせよ時めくとときめくの間には何らかの関連性があるに違いないと、と青桃は根拠無き確信を持っている。
おそらくは感情表現における文化的背景が時代を下るにつれて変容したことによるものではないかと、勝手に推測している。つまり喜びや期待を表現する必要が生まれてきたとか、あるいは恋愛という言葉が出てきたとか…だとすれば明治時代以降に答えがありそうな?時めくからときめくが何時何処でどう派生したのか、ミッシングリングが埋められたらおもしろいだろうなぁ。

兎角ときめくと言えば、青桃の場合シンデレラのかぼちゃの馬車を連想してしまう。と強引にかぼちゃに結びつけたところで「第8回せんばやしハロウィン仮装パーティー」のご案内(^^;)。
10月25日(日)午前11時~午後5時開催。チャリティーハロウィン仮装パレードをはじめ、クイズラリーアドベンチャー(※12歳以下のお子様限定)や1000ピースプロジェクトによるハロウィンゲーム大会、千林ふれあい館ではハロウィンハウスもオープン!!などイベント盛りだくさん。
詳しくは千林商店街公式facebook https://www.facebook.com/senbayashi、千林商店街公式サイトhttp://www.senbayashi.com 迄。

それはそうとときめき塾ではいったい何を教えてくれるのだろう。モテ期を迎える方法とか(^^;)。
は~や~く来~い来~いモテ期♪
それとも、ひらがな書きだから胸の高鳴り方を伝授してくれるのかなぁ。