ここは大阪千林。下町風情が今に息づく横丁。そっと耳を澄ませば聞こえてくるはず。不機嫌な気まぐれものたちの呟きが。「ひとりが好きなわけやないけど、だれかと一緒もきゅうくつ」俗世の垢にまみれ日々あくせくする横丁の住人たちをよそに、日がな一日ごーろごろ。退屈しのぎにぶーらぶら。そんな猫たちのお気楽な横丁暮らしを見るにつけ、物憂さなんてどこへやら。「喜びも悲しみもつかの間。のんびりいこや。生きるってメランコリーにあふれてるんやから」
「すぐ助け出したるさかい、辛抱せえよ」
伯父さんは倉庫の奥から工具一式を携えて戻ってくるなり、速やかに猫救出に着手する。
伯父さんは壁に耳を当てて、壁の中の様子と伺う。珠子も伯父さんと顔を突き合わせて壁に耳をあてがう。
『ガサゴソ、ガサッ』
壁の間をこすれるような音がして、ふたりはしたり!とばかりに顔を見合わせる。
伯父さんはのみとトンカチを取り出すと、音がする箇所にのみを突き立て慎重にトンカチで柄頭を叩く。猫は言うまでもなく、壁内部の胴縁に傷でもつこうものなら一大事。作業は飽くまでソフトタッチで…
『ゴン、ゴン、ガーン!』
思いとは裏腹に、威勢良く響き渡るのみ打つ音。壁の中の騒音はいかばかりか。
「ミャー、ミャー!」
金切り声で叫き立て、慌てふためく壁の中。
ようやく男の腕が一本通るほどの穴が開く。
声の主をつまみ出そうと、伯父さんは穴に腕を突っ込む。
「おぉ、お…お?」
壁の内部を探るも、届きそうで届かない。ふわっふわの毛に指の先がほんのちょっと触れるだけ。文字通り実体がつかめない。
猫にしてみりゃ、トンカントンカン大音量で壁をこじ開けられたかと思うと、正体不明の魔の手がにゅっと伸びてきて、つかみかかってこられたもんだから堪ったもんじゃない。
「ミャオー」
すんでのところで魔の手から逃れる。
逃げられてはならぬ。とばかりに、伯父さんは肩が隠れるほど腕を奥まで差しれるも、猫は小さな肢体をかいくぐらせ下地材の向こうへと逃げおおせた。
伯父さんはがくっと肩を落とす。
が、なんのこれしき、めげてなどいられぬとばかりに、伯父さんは気を取り直し、新たな箇所に穴を開け直す。
そうしてまた腕を差し入れ壁の中を探るも…無情にも猫は伯父さんの手をすり抜け、またしても壁の奥へ奥へと身を隠す。
「声はすれども姿は見えぬ、ほんにお前は屁のような」
こんな冗談言っていられたのも始めのうちだけ。開けた穴の数が増す毎に、焦りと疲労が増していく。こんな調子ではもぐら叩きか、はたまたいたちごっこか。壁の中身はもぐらでもいたちでもなく猫なんだけれど。
「いつまでこんな堂々巡り繰り返したらいいの。もうくたびれたわ」
「くたびれたて、お前は端で見てるだけやろが」
「伯父さんの作業ときたら見てるだけでやきもきするもん」
「どういう意味やねん」
「だって、壁は穴だらけだし」
「たしかに…」
ふたりは壁を見上げる。見るも無惨な惨劇の跡。上を下への大騒ぎしているうちにいつの間にやら壁はあちこち穴ぼこだらけ。大わらわの大捕物の末もう破れかぶれ。壁紙も破れだらけ。
もう、やけのやんぱちの伯父さん。
「こうなったら天の岩屋戸作戦や。たま、天照大神様がお出ましくださるよう裸踊りせい」
「伯父さんのセクハラ!」
とかなんとか、へっぽこ漫才の掛け合いよろしくふたりがやいのやいのとやり合っていると…
ふと見ると、ふたりが思い焦がれ恋い焦がれてならぬお方様が、壁の穴より御自らご尊顔お出ましではあ~りませんか。
千載一遇、これを逃してはなるものか。電光石火の早業で、伯父さんは首根っこを押さえ込むと、壁の穴からつまみ出す。
「ミャオ」
さてもさても七転八倒の末、ついに壁の中から取りだしたるは、まだまだオチビの子猫ちゃん。
手を取り合って喜びを分かち合う。
「天の岩屋戸作戦、大成功や!」
「裸踊りなんてしてないっちゅうの!」
苦労した甲斐あって喜びも一入。珠子と伯父さんはオチビちゃんをかわりべんたんに頬ずりしもみくちゃになで回す。猫にしてみりゃ迷惑な話である。
「この喜びを一言で言い表すなら」
「クララが立った!くらいかな」
「なんや、その程度か。おれは息子の誕生以来や」
「そんな大袈裟な」
「お前は産みの苦しみを知らんから」
「それは伯父さんもでしょ」
「そやな」