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小説やったらいいけどほんまにやったらあきません・・・

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そう言えば昨年、一時寺社に油をかけるなんて不届きな事件がありました。
たしか犯人は宗教団体の一員かなんかだったような。
『汀の砂』のモチーフに似たような奇っ怪な事件が起きるとは…犯罪かどうかは別として自分で描いた物語と似た出来事が実際に起こると、なぜだかソワソワピリピリ。
どうしても神経質にならすにはいられないもんでして。
ただ単に自意識過剰なだけなんでしょうけれど(^^;)。
小説家とは兎角因果な商売なもんでして。それにしても何故に犯罪や背信、反社会的行為などなど悪徳をネタに小説家は物語を描くのでしょう?ひとつには世の中にはこうした現実が絶えないから。
同時代を生きる証人のひとりとしてこの世界の有様を切り取っておきたいと考えるのが小説家の性なんでして。とは言え事実をありのままに写し取るだけでは小説にはならない。
小説の目的はリアリティーの追求にあらず。小説は真に迫ってはあれども現実ではない。
飽くまでフィクション、むしろ嘘っこ絵空事でなくてはならない。
物語をリアルっぽく描くのは読者の方々を物語の世界へと引き入れる為の演出。
やはりあまりに浮き世離れしていたのではちゃんちゃらおかしいってもんで、感情移入しづらいでしょ(^^;)。
物事の核心を突くのが小説。真理を浮き彫りにすることこそが小説の神髄ではないかと青桃なんかは思うんです。
それともう一つ。小説はやむにやまれぬ思いを代わりに晴らしてくれる代償物なんではないかと考えます。
必殺仕置き人みたいに(^^;)。ルサンチマン(怨念や復讐心)を晴らしカタルシス(精神の浄化)をもたらす。
そこまで大袈裟ではなくとも、人間生きてりゃいろいろありますもん。
現実世界でマジに実行するわけにはいかない暴力や殺人などの悪事を小説という非現実空間で堪能し尽くせば、憂さが晴れてスカッとするってなもんです。
そもそも人間は、大脳の仕組み上、スリルを欲する生き物。
これは人間の業と言うべきか、大脳に前頭葉がある以上、禁断の木の実は欠くことの出来ない必需品。
そこで大脳を満足させるため餌として小説を喰わせると相成るわけです。
悪い事、いけない事、許されない事、秘め事…って何だか妙にうきうきしません?幸災楽禍、人の不幸は蜜の味なんていうじゃ~ないですか(^^;)。