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”仕事をする”とはある種の自己表現である

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フォルクスワーゲン社の排ガス不正問題をはじめ、旭化成建材の杭打ち施工検査データ改ざん事件、ジャイアンツの現役選手による野球賭博事件などなど、このところ企業倫理や職業倫理を問われる事件が相次いで明るみに出ているように感じます。

ところで“仕事をする”とはある種の自己表現である、と青桃などは考えたりする。青桃みたいな物書きが“自己表現”と言えばわかりよいが、営業や事務、福祉医療、教育etc.と言われるとぴんとこない来ないかも(^^;)。
まずここで言う仕事とは、単に生計のための労働とかお金儲けの手段といった類いではない。手っ取り早く稼ぐだけなら何でもいいわけだ(泥棒稼業でもいい?それは極論にしても)。
逆に言えば、どんなに有名な企業に勤めていようが立派な職に就いていようが、生業(なりわい)のためお金のためでしかないのなら、それは仕事ではなく労働と呼んだ方が相応しいのかもしれない。青桃の周りには安泰な勤め人のご身分を捨てて独立開業する人が結構多い。独自の味を追求する料理人、フレキシブルなサービス提供を目指すIP関連企業社長、規模は小さくともきめ細かいケアを心がける介護ステーション所長etc.たとえ苦労しようともすべては自己実現のため、仕事で自分をの生き方を体現するため。まさしく天職を得たと言ったところでしょうか。

子供の頃将来の夢について作文を書かされたもんです。
野球選手、サッカー選手、大工さん、花屋さん、ケーキ屋さん、保育士etc.子供の夢ですら将来就きたい仕事を書いたものだ。(青桃はご多分に漏れず将来の夢など具体的は無かった。「プラン無いん?」と聞かれちゃ困るので大人が喜びそうな夢を適当に創作してお茶を濁していたっけ(^^;))
子供の頃の見果てぬ夢はさておき、大学生などある程度大人にまでなって就職の二文字がいよいよ見えてくると「仕事なんぞ選んでられへん!」と言いつつも、やはり将来を見据えて真剣に仕事選びをするはず。
まして資格を要する職業となると、就職活動以前に資格取得段階からして意気込みが違うはず。就職はそれだけ人生をかけた一大プロジェクト。
とはいえそこは人生、そうそう天職に出会えるわけでなし…何はともあれ一端職に就けばまじめに勤めるより他ない。そのうち仕事を覚えていくに連れおもしろくなってくるし働く意欲や喜びもわいてくる。そうして自立していく上で欠かせない自信や誇りを確かなものへとしていく。仕事はそれほど大事な人生の礎なのだ。
ところがそれだけ努力を重ねてきた仕事でさえ邪道へとそれていく者が出てくる。マンネリに潜む落とし穴なのか、慣れがなせる仇(あだ)なのか…不正を図ったり、ずるをかましたり、賄賂を受け取ったり…悪いことは割に合わないってことはちょっと考えればすぐに分かるはずなのに。世阿弥の花鏡に「初心忘るべからず」とあるが、仕事を覚え立ての頃のがむしゃらさや真摯な気持ち、いつまでも忘れずにいたいものだ。